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「シンガポール女傑譚」西川満

  • 執筆者の写真: 継田恵美
    継田恵美
  • 2020年5月12日
  • 読了時間: 3分


古書店で、西川満「シンガポール女傑譚」を購入した。100部限定で昭和52年に人間の星社という出版会社より出ている。手作り感のある本で、紙質はわら半紙の様。

読んで居て既視感があるのはなぜだろうかと思ったのだけれど、それは色々なエピソードがないまぜになっているからだ途中から気づく。密航の話、娼館に売られ行く際の描写、また

カイロに行く展開など。

それもそのはず、我が師である大場昇先生も書いた「長野登米子」と彼女の辿った人生が小説化されているからだ。

「長野登米子」は、明治23年(1890年)女衒にかどわかされ上海に売り飛ばされてしまう。英国人のウィルキンソン氏に見初められエジプトのカイロに渡る。そこでウィルキンソン氏は、小柄で愛らしい登米子を「My Small Cat」と呼んだと言う。

その後、あろうことか競馬で金をすったウィルキンソン氏は、登米子を担保に金を借りようとする・・・。登米子は寸でのところで売られる直前逃げ出すのだ。

この様に話は展開するのだが、「シンガポール女傑譚」に登場する主人公の名前は「フミエ」だ。しかも天草出身で、隠れキリシタンをあぶり出そうとする悪名高き「踏み絵」に引っ掛けて・・・というので、そこはどうなんだろう?!と。

仮名にしてあり、その他の固有名詞についてはぼかしてる。

ご愛敬という感じがしてしまったのは、率直なところで、どうしてこの一冊が生まれたのか

という興味が湧いた。

ちなみに、驚くことに登米子は梅屋庄吉と一時期を共にしている。シンガポールで写真館を開いていたという。これがシンガポールにおける日本人写真館の第一号だと言われている。

*「戦前シンガポールの日本人社会」という本の中に、「梅屋庄吉の妻が開業」とある!

中略 色々あって二人は別れ、登米子は台湾で後の夫となる長野賽義と出会い、二人はシンガポールに向かいリトル東京とも言われるハイストリートにて「大和商会」を興す。

登米子は、店を大きくする手伝いに奔走し、あろうことか一攫千金を狙い単身ゴールドラッシュに沸くオーストラリアに渡り金探しをする。しかし飲み水が尽き砂漠に倒れ落命寸前のところを助けられた。このエピソードは戦前の南洋研究の基礎文献にも綴られ、当時の在留邦人には知られた話だと言うので、本当に「女傑」と言わざるを得ない。

シンガポールに戻り夫長野賽義と共に「大和商会」を盛り立てた。登米子の国際力が物を言った。しかし「長野登米子」は大正4年8月2日に僅か52歳で波乱の生涯を閉じる。

シンガポール日本人会の有志により顕彰碑が建てられた。二葉亭四迷の後継者と目された長田秋涛は著書「図南録」で親友長野賽義の死を悲しんでいる。

二人の墓は、シンガポール日本人墓地にある。

登米子の写真は、一枚たりと残っていない。写真館の仕事をしていたと言うのに・・・。

#からゆきさん #シンガポール




 
 
 

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