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明治から昭和の始め頃まで、「からゆきさん」「からゆきどん」と呼ばれた、海外出稼ぎ者が居たことをご存知ですか?歴史の表舞台で語られることの無い一庶民です。
世界各地に出向き、様々な仕事をしていた労働者たちです。
熱い思いを胸に海を渡り努力の末、
成功を収めた者。
また苦界に身を沈めた者も…。
懸命に生きた先人たちから、
現代の私達が受け取れるメッセージがあります。
「からゆきさん」からの伝言に、
​ 耳を澄ませてみませんか。
​からゆきさん とは?

 貧しい家や家族の助けになればと金を稼ぐために海外に渡った人、つまり「出稼ぎ者」であり、元々、売春婦を指す言葉ではありません。

サンダカン八番娼館という本が発売され、大ベストセラーになり、映画化もされました。その本に出てくる方が、ボルネオのサンダカンで異国人相手の売春をしていたことから、初めてからゆきさんに触れた方が、からゆきさんというと「売春婦」というイメージを持たれたのではないでしょうか。また全員が誘拐され、海外に連れ出されたり、騙されて売り飛ばされ、密航させられた訳でもありません。公募による就労、「奉公」ということで前払金が家族に払われ、本人も承知であったりするケースが多く、また先に渡航していた兄弟姉妹や親戚を頼って行くケースもあります。そもそも海外への出稼ぎ者は女性だけではありません。このことからも、「からゆきさん=売春婦」という認識は、いささか極端ではないでしょうか。

​時代・場所など

 早くは江戸時代末期から、明治・大正・昭和の始め頃までの話です。

 大変興味深いエピソードが伝えられています。世界各国を歩いた思想家の志賀重昴はアラビアの砂漠で『もしもし』とからゆきさんだった女性から声を掛けられ『三十年ぶりに日本人の顔を見ます。』と言われたと言う。

​ この様に、からゆきさん、からゆきどんは世界各国、

各地で働いていました。

近隣アジア諸国、南洋の島々、インド、アフリカ大陸、ロシア、欧米、南米、オセアニアなど、世界中と言えます。海外に視察に訪れた政府関係者、また留学の為、渡航中の学生、文化人たちが各港で船を乗り継ぎ行く先々で、着物姿のからゆきさんを見かけ記録に残しています。

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​どんな仕事?
 女性は個人の家の子守りや女中さん、旅館・ホテル・飲食店の下働き。店員など。
また伝えられている様に、娼婦として娼館で性産業に従事した人もいました。
男性は、ゴム園・農場、鉱石の採掘場などの労働者、薬売り、医者、洗濯業、理髪業、写真技師、小売りなどの商人、ホテルや旅館、飲食店の経営。漁師、白蝶貝や真珠を採る潜水夫など。
この様に、男性も女性も職種は多岐にわたっています。
​その後のお話…

 生まれ故郷を後にし世界各地へ渡航して行ったからゆきさん、からゆきどんたち。異なる気候・風土の地で労働、生活を送る中、マラリヤなどの風土病に倒れる者、また娼館勤めの女性においては、肺病や性病に罹ったり、辛い勤めの為、阿片に手を出し若い命を散らした人もいました。実際に各国にある日本人墓地において、二十歳前後の年若くして亡くなった日本女性たちが異国で永遠の眠りについています。

 またある者は、一定期間働いて金を貯め、「中戻り」と言って稼いだ金を手に故郷へ一時帰国をしました。それでも故郷で生活の目途が立たなければ、また戻って行きました。しかし、財を成し帰国する者、また着のみ着のまま故郷へ戻る人もありました。

 からゆきさん、からゆきどんの中には、渡航先で現地の人と結婚したり、また日本人同士で家庭を持つケースもありました。中には、正式な結婚ではなく、セカンドワイフとして迎えられた女性達も居ました。

 日清、日露、第二次世界大戦の開戦を機に、自主的に帰国をした人。また強制送還された人々も多く居ましたが、仕事の都合、現地の方と結婚をした人、子供が居るなど様々な状況で戦中~戦後もそのまま異国に留まる人も少なからず居たのです。

 事実、第二次世界大戦が始まり、日本軍が東南アジアに派兵して行った折、現地に居た老からゆきさん達が通訳に駆り出されたり、ガイドやお世話をしたという話が残っています。

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​ 天草の郷土史家「北野典夫」の言葉~天草海外発展史より抜粋

大部分のからゆきさんは、正規の手続きを踏んだ海外渡航者であり、また人身売買業者の手に掛かって賤業に従事していたのは一部に過ぎなかった。

また貧しいということは、恥ずかしいことではない。いかに生きたかが問題なのである。とも…

​「阿姑とからゆきさん」の著者  ジェームス・F・ウォーレンの言葉

抑圧され、虐げられた神話的悲劇のみに目が奪われると、積極的に彼女らの人生を読むことができなくなる。

​#からゆきさん

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