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愛知県名古屋市 中村遊郭跡へ

  • 執筆者の写真: 継田恵美
    継田恵美
  • 2019年10月8日
  • 読了時間: 3分

こんにちは。週末に愛知県名古屋市にある「中村遊郭跡」を訪れていました。

★上記の写真は、左から「道路に埋まっていた金属プレート」中央⇒「空き家になっていた旧妓楼」右⇒「とある妓楼跡にあった石灯篭。食器が刻まれ、その下は♡の台座」です。

私のルーツは名古屋にあります。幼い頃(5~6歳でしょうか)、ひいおばあちゃんの百歳を祝う宴席があり、親戚一同が集いました。その時、日本料理屋さんの大広間でかなりの人数が会食をしたのですが、緋毛氈を敷き詰めた廊下、そして何よりも不思議なことに二階の廊下と廊下を繋ぐ太鼓橋が掛かっていたことを、今も思い出すことができるのです。小さな私にはその太鼓橋をスリッパ履きで登ったり下りたりするのがとても大変だった記憶があります。ある時、父にその話をしたら「あそこは昔、遊郭だったところ」と言っていました。

そう・・・何も知らずにかつてその建物に行ったことがあったという。しかしながら当然、

その日本料亭の名前は分からず、べんがら格子だったような・・・どうだったのか。そこまでの詳細は辿れず終いです。それは考えると大変貴重な機会であったことになります。幼い私の記憶に残る「遊郭」を令和になって訪ねた格好になりますが、本当に時空を超えて独り飛んできたような錯覚に陥りました。

日曜日の昼間ですがあまり人気のない道路。真新しい戸建て住宅やマンション。しかし新旧入り混じる感じで、突然「遊郭建築」がたたずんでいるのです。数々の皆様が書かれたブログ記事などで、事前学習済みだったのですが、それを目の当たりにして、「うわぁ・・・来てしまった!」というのがつい口から洩れた言葉でした。それほどまでにインパクトが強烈で、建物たちが語りかけてくれているかのような不思議な心象と既視感が入り混じります。ここがかつて賑やかに繁栄していた時代、一体どんな雰囲気だったのでしょう。そしてこの町は、遊女さん、遊郭で働く人々が居て、お客さんが行き交い紛れもなくここに在ったことを私に伝えます。そして非常に印象的だったのは、「空き地」や「駐車場」が多かったことです。建物の老朽化は止めようもなく、所有者さん達は維持管理のことなど諸事情から妓楼だった建物を取り壊してニーズに添ったものへと変えて行かれる過程にあることでしょう。

個人的には(本当に個人的には!)これも一つの歴史文化資産として残ってくれたらという

希望を強く持ちました。時を止めたいとさえ、思いました。

またこれまで訪ねた伊豆の下田、島原の中橋遊郭跡、湊新地はかろうじてポツンポツンとかつての妓楼だと分かる建物がありました。しかし民家となり分厚いオブラートで包み込まれたような印象でした。また、もうどこで在ったのかもわからなくなってしまった松戸など、かつて繁栄した遊郭跡を訪ねましたが、「中村遊郭跡」の様に、在りし日の姿をなぞらえることができる遊郭跡地を私は知りませんでした。本当にそのインパクトは強烈でした。

今後、機会を見つけて現存する遊郭跡を調べて訪ねてみようと思いました。もし良かったら当ブログにお越し下さった皆様、教えて下さい。お願い致します。#遊郭 #中村遊郭


 
 
 

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